2006年7月22日土曜日
防災行政怠慢を暴いたジャワ島津波被災
今日の地球画像は、ジャワ島南部の津波被害です。
2006年7月17日に、インドネシアのジャワ島沖の海底で、プレートが飛び跳ねました。
この地殻運動が、およそ1時間後に島を襲った津波を誘発しました。
ニュース報道によると、チラチャップ市の約40キロメートル西に位置するパンガンダラン地域が、高さおよそ3メートルの津波によって最も荒廃しました。
漁業とリゾートのこの地域で、数百人の犠牲者と数千の負傷者、多くの家屋被害が発生しました。
大きい構造の建物は、津波に耐えましたが、とても多くの小さい建物と家が流されたり破壊されました。
何万もの人々が、惨害で非難を強いられました。
アメリカ地質調査によれば、地震はオーストラリア・プレートとスンダ・プレートの境界の浅い部分で起こりました。
2枚の地殻構造プレートが、ジャワ島の沖合で衝突しています。
オーストラリア・プレートは、スンダ・プレートの下に潜り込んでいて、そこはジャワ海溝と呼ばれる地形です。
地震は、そこから50キロメートルほど北で起こりました。
一部の報道では、津波早期警戒システムによって、若干の命が救われた模様であると伝えています。
しかし、行政当局は、その警報を周知徹底することなく、地震発生から1時間後に襲った津波で多くの犠牲者がでました。
もし、津波早期警戒システムを行政が真剣に受け止めていたならば、この津波被災では、多くの命を救ったかもしれません。
今回の津波被災から逃れられた人々の多くは、最初の震動を感じると同時により高い地面を捜すように、2004年12月26日にスマトラ北部を襲った猛烈な津波の記憶が瞬時に呼び覚まされたのかもしれません。
行政官庁は、洋の東西を問わず、堅固なところに築かれています。
庶民の血税を浪費する役人は風雨に耐える建物で生き長らえ、庶民は、風雨に曝される家屋と共に津波の犠牲になって酷税から逃れられました。
それは、死での旅立ちでした。
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