2008年4月1日火曜日

旅客機物語 -1- それは、航空便から始まった。

 今日の地球画像は、世界初の民間旅客機物語です。一ページに収まりそうもないくらい長くなりましたので、前編と後編に分割しました。
 現在では、快適な旅の代名詞とも言える旅客機も、デビュー仕立ての頃は、軽いものから運びました。
 重い搭乗者を乗せられるようになるまでは、苦難の歴史がありました。
 今日は、民間航空会社の始まりとその後に世界最大航空会社に至るまでの物語です。
 第一次会大戦の終結でほとんどのパイロット、つまり飛行機乗りは失業中でした。
 その失業対策で考えられたのが、航空便サービス、つまりエアーメールです。
 ラブレターfromカナダぁ~、とか何とか歌っていたかどうか記録はありませんが、高速道路渋滞で経験したあの苦痛が、やはり、初期の航空便パイロットにもありました。
 エバーグリーン航空のように、山火事がないところで雲の素を撒いたこともあったようです。
 それでは、語るも涙、読むと共有の苦痛を思い出せる昔物語にお付き合いください。





 4つの駆け出しの航空便配達社が「連合」したとき、開拓者的な飛行会社が生まれました。
 その革新的な企業は、世界最大の航空会社になります。
 この物語は、アメリカのそして地球の最大手航空会社の沿革の触りにもなります。

 第一次世界大戦終了後、アメリカ合衆国には、飛行機の大編隊と何百人もの訓練されたパイロットがおりましたが、彼らが成す仕事はほとんど何もありませんでした。
 近くで飛行機を見るために1ドル前後の料金で、多くのフェアとカーニバルで観客を集め国中いたるところで地方巡業していましたが、ほとんどの戦闘機乗りは、僅かな収入しかありませんでした。
 木、ワイヤ、布地から作られた飛行機は、自然と一体の枠だけの側面と1~2座席コックピットは、乗客を乗せるために構築されていませんでした。
 さらに、ほとんどの人々は、空を飛ぶことに慎重なままでした。
 飛行は、まだ産業でなく、娯楽でした。

 しかし、飛行は、アメリカの未来について重要な役割を果たす義務があり、政府は、その成長を促進し、サポートする方法を見つける必要がありました。
 答えは、郵便分野にありました。
 それはまさに、1860年に始まったアメリカ東海岸から西海岸までリレー方式で配達することにより、配達所要日数を短縮したポニー・エクスプレスのように、航空郵便サービスが、即時の公益を提供する一方、政府は飛行の将来投資が可能と認めました。

 1918年に、郵便局は、ニューヨーク市とワシントン(DC=コロンビア特別区)の間で実験的な航空便ルートを開きました。
 1920年までに、アメリカ航空便ルート1号に続いて、ニューヨークからシカゴ経由でサンフランシスコまで拡張されました。
 幌馬車時代の開拓者と大陸横断鉄道でのエンジニアによる陸路のコースと呼ばれるそのルートは、最終的には本線としてパイロットに知られました。
 天気が協力したとき、飛行機と鉄道による輸送の組み合わせが、78時間で大陸横断を完了させました。
 パイロットは、日中にだけ飛行し、基本的に離着陸場が連なっているにもかかわらず、悪天候や日没で頻繁に牧草地や原野への着陸を強制されていました。
 手紙の配達は、約束された日時から数日の遅延が日常となっていました。(したがって当サイトの更新遅延は、歴史を忠実に反映しているものです。)




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