2007年2月18日日曜日
魔法の伝説に迫るストーンヘンジの謎解き
新石器時代後半期の間、ストーンヘンジは、多分、囲いをした墓地として数百年の間使われ、それから放棄され、現在に至ったのでしょう。
ことによると木造建築の寺院が、ここにあったかもしれません。
囲い地と考えられる木造の寺院の建設は、人々が、この地に移民して土地を共有し耕作して、この地域で暮らし始めたことを示唆します。
共同体の労力だけで、このストーンヘンジ遺跡を作り出すことができました。
考古学者は、石の連続の異なる配列がストーンヘンジにあったと気付きました。
残存する配置は中央の1つの祭台で、石2つの円と2つの馬蹄から成っています。
最初かあるいは内側の馬蹄は、ストーンヘンジに持って来た最初の石で青い石から成っています。
最高4トンの重さがあって、それらは、南西ウェールズのプレセリ(Preseli)山から運ばれてきたと思われています。
一部の考古学者は、それらの石がブリストル湾に海路で輸送され、それから陸路でローラーの上をロープで引っ張って現在地に持ってきたと考えています。
また、それらがストーンヘンジに運ばれる前に、青い石のが形づくられたといういくつかの証拠があります。
しかし、それらの石が一度、この地に運ばれる前に、ウェールズのストーン・サークルを成形していたもので解体されて、再び組み立てられた可能もあります。
プレセリ山は、南西ウェールズにありマーリンとアーサー王の伝説の元になった地として知られています。
マビノギオン(Mabinogion)というウェールズの伝説によれば、ウェールズのおとぎの国アンヌン(Annwn)がこのプレセリ山の地です。
マーリンが、カメロットとアーサー王の会議場の建設のためにここからストーンヘンジまで、石を魔法で飛ばしました。
ストーンヘンジの7つの環状列石のうち5番目の環状列石と内部の馬蹄石は、実際に、プレセリ山から産出した「青岩」であると知られています。
マーリンの魔法の伝説はともかくとして、ストーンヘンジへの青岩の移動には2つの説があります。
一つは、プレセリの地に元々あったストーン・サークルを解体して現在地に運んだというものです。
もう一つは、氷河時代の崩壊作用でプレセリ山から現在地近くまで流されてきたという説です。
これらの説は、過去数百年間に渡って議論されてきていますが、現在でも学説としての確立には至っていません。
ストーンヘンジに残っている45個のプレセリ青岩(硫酸銅)で、9個が第5の環状列石の中で7つが立石のままです。
今日の地球画像「ストーンヘンジ・人々が生きたところ」ページでは、18枚の画像と3本の動画が、皆様のお越しを首を長くしてお待ちしております。
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